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物語への興味。

世の中に数多ある「物語」というものに対する、
だから何?という感じの、晏嬰さんの脳内垂れ流し。
オチのない思考の迷路を以下折り込みにてぐるぐると。


 * * *

小説、漫画、アニメ、ドラマ、RPGなど、
世の中には色々な形で語られる「物語」がありますが、
時には「登場人物が多過ぎて覚えきれない」
「話のスジが頭に入らない」ということがあると思います。
そういう時、考えられる原因は次のどちらかではないでしょーか。
A:語り手の語り下手
B:読み手の理解力不足
どちらかと言わず、両方ってこともあると思います。

Aの場合はもう、しょうがない感じがします。
世の中の「語り手」は一様に、おのれが物語る
「物語」の魅力をどのようにアピールするかを研究し、
日々、切磋琢磨しているものだと思うんですよね。
例えば、文章の表現技法で、コマの割り方で、カットの仕方で。
多くの「読み手」を得た「物語」は、やはりそれ相応の
魅力的な「語り」方をしているのだろうと思います。
「読み手」を掴めなかったのなら、それは「語り手」の
アピール不足だったか、もしくは「物語」そのものの魅力が
本当になかったのかのどちらかなのではないかと。何にせよ、
「語り手」は「語る」ための努力を欠かさない存在だと思うのです。

 * * *

Bの場合。これは受け手のアンテナの感度の問題ですな。
では、「理解力不足」とはどういう状態を指すのかと考えると、
1:読み手の総合的な国語力、読解力の欠如
2:読み手が「物語」に魅力、興味を感じていない
のどちらかではないかと考えられます。

1は、もう一度国語の授業受け直してこい、という次元の問題。
例えば、時々「文章が長くて目が滑って読めない」という理由で
小説を敬遠する人を見かけますが、それは、長い文章に
慣れていない=読書体力がないことの表れだと思うんですよね。
きっと、もっと別の形式で語られる「物語」ならば、
すんなり頭に入るんじゃないでしょうか。

2の場合は「読み手」個人の興味の範囲内にその「物語」が
位置していないことに起因するものなんじゃないかと。
「話のスジが頭に入らない」「登場人物が多過ぎて覚えられない」
というのは、「物語」そのものに興味があるなら「読み手」側で
クリアできる問題だと思うのです。それが頭に入らないということは、
そもそも「物語」への興味が薄いんじゃないかと思われます。

その「物語」に本当に魅力を感じているなら、
仮に「物語」に穴や綻びがあったとしても、それは「読み手」が
勝手に想像力と妄想で補完してしまえるもので、それこそが、
「物語」が「読み手」に与える力の顕現なのではと思うのです。

 * * *

こういう概念や観念をこねくり回す時は、
やっぱり文章が一番やり易いよね、と思いつつ、
特に落としどころもなく筆を置く。

【追記】
「物語」でなく随想や日記だったとしたら、
読み手を意識したメッセージ性の強さを前面に出してしまうと、
逆に意見の押し売りのような押し付けがましさと息苦しさを
読者に与えるものかも知れない。この文章みたいに(苦笑)。

随想や日記だからこその散漫さや視点の狭さというものも
おそらくはアリなのだろうとは思う。
ただ、自分はその類いの文章はどうにも芯が感じられず、
足元が浮つくような感覚がして苦手だったりする。

そこそこの長さをもった文章に起こす物事は、
やはりそれなりに起承転結を考えながら書きたい。
ヤマなしオチなしイミなしの文章は
140文字程度でつぶやくのが丁度良いよね(笑)。
最後はついったーの効用を説いて落としどころとする!

2009.08.13 | | Comments(0) | つれづれ

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 晏嬰 亮
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